安達峰一郎
安達 峰一郎(あだち みねいちろう、1869年6月19日 - 1934年12月28日)は明治から昭和に掛けて活躍した日本の外交官、国際法 国際法学者。後に国際司法裁判所 常設国際司法裁判所の裁判官、所長となる。
国際連盟日本代表、常設国際司法裁判所所長などを歴任し、明治、大正、昭和にかけて世界の外交界で活躍しました。「世界の良心」と謳われ、 博士が亡くなったとき、オランダ国では国葬でその死を悼んだ
1869年(明治2年)山形県東村山郡西高楯村(現・山辺町)に生まれる。
1892年(明治25年)東京帝国大学法科大学仏法学科を卒業、外務省に入省。
1905年(明治38年)日本全権小村寿太郎の随員としてポーツマス条約の草案作成にあたる。
1907年(明治40年)法学博士の学位を授与される。
1913年(大正2年)メキシコ公使。
1917年(大正6年)ベルギー公使。
1919年(大正8年)パリ平和会議日本代表代理。
