上山藩

上山藩(かみのやまはん)は、出羽国上山(現在の山形県上山市)周辺を領有した藩。藩庁は上山城に置かれた。
上山は、北は山形藩、南は米沢藩に隣接する羽州街道の要衝であり、長禄2年(1458年)には上山温泉が発見され、温泉宿場町として早くから繁栄を遂げた。上山は最上氏が支配していた頃から重要拠点のひとつと見なされており、戦国時代 (日本) 戦国時代には伊達氏と最上氏がこの地をめぐって争うことも少なくなかった。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで、上杉景勝の家臣・直江兼続は2万5000を数える大軍を擁していながら、上山城を守る最上氏の家臣・里見民部率いるわずか1000の兵の前に、大敗を喫するという醜態を晒している。しかし里見民部は後に最上義光と対立して出奔し、その後には坂光秀、次いで上野山義直 最上光広(義光の五男)が入った。